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緑の夕焼けを見た者は幸せになるという

「緑色の夕焼け」を見たことがある。
あれはアルゼンチン、パタゴニアの世界遺産、「手の洞窟」を撮影していた2005年のことだった。
今でこそショートカットができ、車で1時間たらずで行くことができるらしいが、当時は宿泊先であるエスタンシア・ロス・トルドスという牧場から現場の「手の洞窟」まで車で片道3時間かかった。
片道3時間、というところが今回立ち会ったエジプトの発掘現場と共通している。
それでイメージがよみがえった。
Photo_2
「手の洞窟」とはこの地にかつて暮らしていた先住民が残したおびただしい手形が残る場所だ。一説によると、一万年以上前の手形もあるという。
手形の多くは、カラフルな色で縁取られたネガである。
つまり、手を岩の上に乗せ、顔料を吹きかける。そして手をどけると、手を置いた周辺に鮮やかな色が残るのだ。
しかし中には明らかにポジの手形もある。
この手形を古代の人々がどうやって描いたのか。まったくの謎だ。
それはまったく不思議な、魔力めいたパワーを感じるような場所で、おびただしい数の手形が何かを訴えかけてくるようだった。
Photo
「手の洞窟」がある場所は今では夏になると砂漠のような場所で、日中はかなりの暑さになるのだが、僕たちはそれこそ寝食を惜しんで、夢中になって撮影した。
パタゴニアの夏(すなわち日本の冬)はとても日が長い。
撮影しているうちに今が何時かも忘れてしまう。
そして何が困ったといって毎日「さあ帰ろう」という頃になるとすばらしい夕焼けが出現するのであった。
Sunset1_2
夕焼けが出現するのは午後7時頃でそれから1時間以上、この世のものとは思えぬような天体ショーが目の前で繰り広げられる。
Sunset2_2
しかも、終わり際にとんでもない夕焼けが出る。
Sunset3_2
それこそが「緑の夕焼け」である。
それほど長い時間出現するものではない。
しかも緑の夕焼けは肉眼でははっきりと緑色に見えるのに、カメラではとらえることができないのだ。
ハイビジョンカメラはもちろん、スタッフが持っていたあらゆるデジカメを動員してみたが結局「緑の夕焼け」をとらえたショットはひとつもなかった。
これがその時のピクチャーである。
Sunset4_2
濃密な、色の濃い夕焼けに見える。
しかし僕たち全員の目に、それは確かに鮮やかな緑色に映っていた。
それは確かだ。
Sunset5
この素敵な天体ショーが終わるのはだいたい午後9時頃であった。
Sunset6
ふんぎりをつけ、それから3時間かけて宿に戻るのだ。
宿での食事時間は決まっている。夜11時にはテーブルは片付けられてしまい、シェフは寝てしまう。
おかげで僕たちは3日ほどちゃんとした晩めしにありつけないという事態におちいった。
とにかく、きりがないほどに極彩色の雲がうごめき続ける。
素晴らしい夕焼けだった。
あんな夕焼けはあれ以来地球のどこでも見たことがない。
Photo_4
それから何年かたって、この時同行したアルゼンチンのコーディネーターが再び手の洞窟を訪れたというので「また緑の夕焼けは見たかい?」と聞いてみた。
すると、あれ以来見たことは無いという。
あれはいったい何だったのだろうか。
言い伝えによると、「緑の夕焼け」を見た者はその後幸せになるという。
よくよく考えてみると僕のその後の人生はかなり幸せだった。
そしてその後おそらく僕の体というか、感覚に影響が表れた。
それまで緑色に興味はなかったのだが、「緑の夕焼け」を見て以降、緑色にしか気持ちがひかれなくなってしまったのだ。
まったく不思議な体験だった。
もう一度僕が「手の洞窟」を訪れれば再びあの「緑の夕焼け」は現れてくれるだろうか。

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