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7月, 2013の投稿を表示しています

ハンゲ村(韓国)

韓国には民俗村という古民家の集落がいくつかある。 たいていは民家だけが残され村丸ごとの博物館状態となっている。 しかしここ大邱からほど近いハンゲ村にはまだ実際人々が住み、古きよき韓国の農村の姿を見ることができる。 ここで出会ったのは李洙仁さんという元会社経営者。 長年都会で会社を経営してきた李さんは、村を昔ながらの姿に復活させ守るために会社をたたみ、生まれ故郷のハンゲ村に戻ってきた。 コンクリートだった道を土に戻し、来年には電柱を地下に埋め昔の景観をまず取り戻すという計画だという。 李洙仁さんとともに、伝統料理のレシピを完全に記憶している女性、李戌履さん(80歳)のお宅も訪ねてみた。 戌履さんはキムチを手もみしながら、 「バカヤロー」 「チョセンジンハナニヲヤッテイルノカ」 「メシメシ」 「キサマ」 など旧日本軍が使い、すっかり記憶から抜けなくなってしまった言葉の数々を教えてくれた。 日本がこの国を侵略し、植民地としていた爪痕がこういう田舎のおばあちゃんの脳裏に刻まれていることがかなりショックだった。 ただし今ではお二人とも反日感情はないという。 「あれは昔のことですし今は日本人相手に何か新しい商売でもしてみたいわ」 と李戌履さんは笑う。 この時取材した 世界の窓 韓国ハンゲ村「消えゆく農村」は8月2日金曜日よる11時54分からBS−TBSで放送されます。

茨中教会(中国雲南省)

中国雲南省の山奥にあるカトリックの教会。信者はみなチベット族。なぜこれほどの辺鄙な場所にこんな信仰が残っているのか? いや、辺鄙だからこそ残されたのである。  「よいことを続けていればよいことが訪れる」 人々はそう信じて日々の暮らしを続けている。

ロスキレ大聖堂(デンマーク)

デンマークで二番目に登録された世界遺産。 この国にとっては世界遺産というくくりを度外視してもかなり重要度が高い教会である。 なぜならここには、歴代のデンマーク国王が埋葬されているから。 つまり王の棺の安置場である。 とても立派な棺がたくさん置かれている。 大小があるのは、その王の権力、在位していた時の財力の多寡による。 たとえば、「人魚姫」を作った彫刻家が彫像をこしらえた棺がある。 この世界遺産が教えてくれること。 「どれほど権力をもった王様だっていずれ死んでしまう」。 ある意味、死というのは平等なのだ。 王様も普通の人も貧乏人も聖人も偉人もみないずれ等しく必ず死んでしまう。 (だったら生きているうちは好きなことをやらなきゃ損だよな) と改めてしみじみと思った。 生き方についてつくづく教えてくれる世界遺産だった。

クロンボー城(デンマーク)

デンマークを代表する世界遺産である。 狭い海峡に向けて大砲をずらりと並べ、通行税をぶんどる。 北海からバルト海に抜けるにはこの海峡を通るルートが最短だったため、船は通行税を払わざるを得なかった。 そういう目的で作られた要塞らしい。 (なんだ、やくざのぼったくりというか、みかじめ料というか、そういうものと同じじゃないか) そんなことを思った。 この通行税がデンマーク王国の財源を一時支えていたというのだから面白い。 ぼったくりも権力の手にかかると歴史になるんだなあ。 18世紀末、ここに幽閉されていたのが国王クリスチャン7世の妻カロリーネ・マティルデである。 夫は一説によると現代でいう統合失調症を患い、かなり頭がおかしかったといわれるクリスチャン7世。そのお付きの医師だったヨハン・フレードリヒ・ストールエンセはやがて国王を操り国政を意のままに支配するようになる。王妃とも関係をもち、二人の愛人関係は公然の秘密だったという。 しかし調子に乗りすぎたストールエンセにやがて国民や関係者の反感が強まりクーデターが勃発。1772年のことだった。 王妃はクロンボー城に幽閉されストールエンセを待ち受けていたのは右手を切り落とした後で首を刎ね、遺体は四つ裂きにするという残虐な刑だった。 そういうダークな歴史もある。 とにかく背景には海峡通行税という財源があった。カネがうじゃうじゃうなっている所には問題が発生するのは今も昔も変わらない。 シェークスピアがハムレットの城のモデルにしたといわれる。その背景には通行税をめぐる権力争いがあったに違いない。 あの話も、 (なんだ、結局カネのためだったのかよ) と思ってしまえばかなり見方が違ってくる。ハムレットがあれほど悩む必要はなかったのだ。 ところでクロンボー城を出た正面には「ハムレット」という名の特別養護老人ホームがある。 (ひょっとしてあそこでは老人たちが毎日、「生きるべきか、死ぬべきか」と悩んでいるのかなあ) と思うとなんだか怖いものがある。

サンマルラハデンマキ(フィンランド)

それは、心にしみいるような世界遺産だった。 フィンランドの世界遺産、サンマルラハデンマキの青銅器時代の石 塚墳。 第一印象…… (なぜこれが世界遺産?) でもしばらく遺跡がある森の中にたたずんでいるいるうちにじわじわとそ の価値がわかってくるというか。BC3500年頃、すなわちおよそ5000年前にこれを人々が作 ったというところがすごい。 そしてその遺構が未だにそのまま残っているのである。 どう いう目的をもった施設だったのかはまったくわからない。文字もな い時代の遺跡だから当然のこと。 宗教的な遺構ではないかという印象は受けた。なにかしらの聖地だったと 思う。 たかだか人間の生きる時間は50年やら100年。 しかし作ったもので、残るものもある。 テレビ番組にできるような世界遺産ではないかもしれない。 でも私の心にはすっかりと刻まれた。 旅に出るとすこしだけ人生が変わる。だから素敵だ。

ラウマ旧市街(フィンランド)

フィンランドの世界遺産、ラウマ旧市街にいる。 「世界遺産」という番組を外れてから、実はいろんな世界遺産に行き易くなった。 「世界遺産」の番組取材は時間がかかるから、実は数をこなすことができないのだ。 ラウマ旧市街はなかなか納得感のある世界遺産である。 やはり最初に世界遺産になったようなサイトは実に (世界遺産らしい) という感がある。 思いつくところでいえばマチュピチュやピラミッド、イースータ島やバチカンなど。 しかしその後追加で世界遺産登録されたようなサイトの中には、 (え? これが世界遺産なの?) と疑問に思えるようなところが少なくない。 その点、ラウマ旧市街は合格点だと思う。でもマチュピチュやピラミッドがAクラスとすればBクラスぐらいかな。 寒すぎて窓を開ける習慣がないので、窓外に温度計がついていたりする。 これを見て外出にはどんな服装がいいか判断するということらしい。あるいは今日は寒すぎるから外出はやめようとか。 今は 世界の窓 という番組の取材中なので窓の話には敏感になっている。

ハメーンリンナ(フィンランド)

村上春樹さんの小説「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」の舞台となったフィンランドの町へわざわざ出かけた。我ながら物好きだなあ。これは主人公がサクランボを買って食べる広場である。 「広場を挟んだ正面には大きな教会があっ た。丸い緑の屋根を持ったずんぐりとした教会だ。」 と小説に描かれている通りの教会もあった。春樹センセイもきっとここに来たのだ。 それにしても他にはあまり見るべきものもない町だった。なぜこの町が選ばれたのだろうか?