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3月, 2013の投稿を表示しています

チロエ・アチャオ島

気がつくとモーションピクチャーを作っている自分がいる。モーションピクチャー、すなわち映画だ。尺は短いけど。今日完パケした〔世界の窓〕の一本はまさに動く絵画、モーションピクチャーだった。小学生の頃サントリーのCF見て、『ああ、こんなものがつくりたい』と思っていた自分がいたことを思い出した。チロエ諸島アチャオ島の一人暮らしの老女を取材した一本。昔作りたかったものが知らず識らずのうちに出来ている。人間はなりたいものになれるものなのだ。時間はかかるけど。 BS-TBS世界の窓「もうじき孫が」3/29金 22:54-23:00 放送 http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0700400

バルパライソ

かつて日曜の夜11時30分からTBSで放送していた「世界遺産」という番組でこの町を取り上げたいと思い、ロケハンだけはしていた。 ただ、その番組で取り上げるにはいまひとつ決め手に欠ける町だった。 そして静観を決め込むうちに番組は終了。 (あーもうあの町には行くこともないのかな……) と思っていた矢先、BS−TBSの「世界の窓」という番組を手がけることになり、 (あ、こっちの番組ならいけるわあそこ) と思い出して行くことになった。 人生あきらめてはいけないな。 パブロ・ネルーダという人を僕は知らなかった。 チリのノーベル賞作家である。政治家にして詩人。 チリは、今でこそ安定しているが政治的には揺れ動いた国である。 1948年、共産党禁止法なるものが施行され、共産党員だったネルーダは弾圧から逃れるためにある家に隠れ住んだ。 日中は地下室で詩作に没頭、夜になるとリビングルームまで上がってきて、窓を開け外を眺めたという。 しかし、夜中である。 日中はきれいな色にあふれたバルパライソの町も、真っ暗で見えない。 作家はそれでも窓を開け、町の音を聞き、想像にふけった。 この地下室と暗闇が作家のインスピレーションを刺激したのだという。 それが後にノーベル賞につながった。 まったく人生何が幸いするかわからない。 その後ネルーダは女装して家から脱出、国外に逃れる。 彼のイタリア亡命時代を題材にした映画は名作「イル・ポスティーノ」となった。 1970年、帰国した時に懐かしさのあまりかつての隠れ家を突然訪問。住人を仰天させた。その時の住人が今も家のオーナーである。 翌1971年、ノーベル賞を受賞。 しかし結局ネルーダは非業の死を迎える。 政権が代わり一時は大統領候補にまでなったネルーダ。 しかし安心したのもつかの間、軍事政権によるクーデターが起こり、またしてもチリは暗黒の時代に突入する。 ガンで危篤状態だったネルーダは救急車で病院に向かう途中軍隊に捕えられ、救急車から引きずり出されて死んだ。 波乱の生涯。 知らなかった。 「世界の窓」 は5分番組である。 さすがにそこまでのストーリーを紹介する尺はなかったので、ここに書いてみた。

プンタアレナス

辺境の地の生活は確かにタフだが優しい人が多い気がする。今回の取材で会ったセルヒオさんもまた、優しい方だった。 セルヒオさんは、マゼラン海峡に開けた港湾都市プンタアレナスでずっと税関に関わる仕事をされてきた人である。 出身はチリの更に北、バルパライソの辺りだという。プンタアレナスと較べると、だいぶ暖かい。なにしろプンタアレナスはパタゴニアにある。南極に近い、地の果てだ。夏は短く冬は長い。冬にはおそろしいほどの雪も降る。 そんな辺境の地に、つまり、稼ぐために出て来たのだ。 そして結婚をしてこの地で三人の子を育てた。いずれも男子で、医師、建築家、税理士とそれぞれの分野で立派に優れたプロフェッショナルとして認められ、仕事を続けている。立派なものである。 現在セルヒオさんは78歳。そろそろプンタアレナスを去ることを考え始めている。働く、そして子を育てるという自分の役割が完全に終わったのではないかと思うからだ。長年連れ添ってきた妻は背中を病み近頃はほとんど寝たきりになっている。彼女の精神もささくれだってきた。 「そろそろ私は静かに休む頃ですよ」 セルヒオさんは微笑みながら語った。とびきり優しい笑顔だった。 「世界の窓 」3月15日金曜日よる10時54分〜11時放送予定 http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0700400