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ボイ渓谷の思い出

スペインとフランスの国境近く、ピレネー山脈の中に、ボイ渓谷はある。 この渓谷には、11世紀頃から建てられはじめた石積みの教会が幾つも残されている。ロマネスク様式の教会とそれをとりまく環境が世界遺産になっていた。 ある年の、クリスマスの頃、僕たちはこの渓谷を訪れた。世界遺産をテーマにした番組の取材のためである。ピレネー山脈にある、雪に閉ざされた渓谷の村の、小さな教会のクリスマスを撮影しようというのだ。 我ながら、なかなか雰囲気のある画が撮れそうな企画だと思っていた。 そもそも数々の戦火をくぐり抜け、なぜこの渓谷に昔の教会がそのまま残されているのか。 それは、あまりにも山奥で、ひっそりとしており、誰も注目しなかったからだといわれている。スペインに何度も攻め入ったイスラム教徒の軍隊も、ここまでは来なかった。 ボイ渓谷はいわば、忘れ去られた渓谷だった。 まず僕たちは下調べのロケハンのため、この渓谷を訪れた。メンバーは番組ディレクターの僕とバルセロナ在住の撮影コーディネーターYちゃん(女性)、ロケ車両のドライバー件コーディネーター助手のナッチョという3人である。Yちゃんはバルセロナ在住で、日本からやってくるテレビや雑誌の撮影のコーディネーションを生業としている。イタリア語とスペイン語を話す才媛だ。しかも長身でモデル並みのプロポーションをしている。イタリア人カメラマンと恋に落ち、そのままヨーロッパに渡ってしまった一途な女である。日本にはちょっといないタイプの女というか、日本では暮らしていくのが窮屈だろうな、と思わせる女性だった。性格は男よりも男らしく、がさつで、気が強い――たぶん本当は違うのだろうが…… 助手のナッチョはアンダルシア出身、陽気で冗談が大好きな独身男。ひょっとしてYちゃんの恋人ではないかと本人に直接尋ねてみたことがある。しかし答えは「あり得ない」というものだった。 「あれは、日本の女じゃないよ」 とナッチョはへらへら笑いながらいう。どうやら、彼が抱いていた日本の女のイメージとYちゃんとのギャップがありすぎたらしい。Yちゃんのがさつさと気の強さに原因があるような気がする。 僕たちが泊まったのは、〔ランティエール〕というホテルだった。外壁は石積みで、周囲の景観を壊さないような造りとなっている。さすがは世界遺産を抱える地...
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地球に生まれた生き物として

宮城県の伊豆沼は渡り鳥の聖地である。 ほんとうにおびただしい数の鳥たちが今飛来していて、地球の営みとはこういうものだったのか、と見る者に教えてくれる。 久々に撮影を止めることができず見とれてしまった。 つまり、繁殖と子育てのために彼らは命をかけて渡りをしているのだと思われる。 繁殖と子育て。次世代に生命をつなぐこと。 地球上の生物にとって、それが使命というか、生きる目的ということなのだろう。 それはアマゾンやパンタナールの生き物たちを繰り返し見るうちに教えられたことだった。 日本でこのような光景を目撃でき、そのことを思い出すことになるとは思ってもみなかった。 神様はやっぱりいるような気がする。 ひるがえって我々人類はというと。 ちょっと違う方向に進みすぎているような気がするのだが。

緑の夕焼けを見た者は幸せになるという

「緑色の夕焼け」を見たことがある。 あれはアルゼンチン、パタゴニアの世界遺産、「手の洞窟」を撮影していた2005年のことだった。 今でこそショートカットができ、車で1時間たらずで行くことができるらしいが、当時は宿泊先であるエスタンシア・ロス・トルドスという牧場から現場の「手の洞窟」まで車で片道3時間かかった。 片道3時間、というところが今回立ち会ったエジプトの発掘現場と共通している。 それでイメージがよみがえった。 「手の洞窟」とはこの地にかつて暮らしていた先住民が残したおびただしい手形が残る場所だ。一説によると、一万年以上前の手形もあるという。 手形の多くは、カラフルな色で縁取られたネガである。 つまり、手を岩の上に乗せ、顔料を吹きかける。そして手をどけると、手を置いた周辺に鮮やかな色が残るのだ。 しかし中には明らかにポジの手形もある。 この手形を古代の人々がどうやって描いたのか。まったくの謎だ。 それはまったく不思議な、魔力めいたパワーを感じるような場所で、おびただしい数の手形が何かを訴えかけてくるようだった。 「手の洞窟」がある場所は今では夏になると砂漠のような場所で、日中はかなりの暑さになるのだが、僕たちはそれこそ寝食を惜しんで、夢中になって撮影した。 パタゴニアの夏(すなわち日本の冬)はとても日が長い。 撮影しているうちに今が何時かも忘れてしまう。 そして何が困ったといって毎日「さあ帰ろう」という頃になるとすばらしい夕焼けが出現するのであった。 夕焼けが出現するのは午後7時頃でそれから1時間以上、この世のものとは思えぬような天体ショーが目の前で繰り広げられる。 しかも、終わり際にとんでもない夕焼けが出る。 それこそが「緑の夕焼け」である。 それほど長い時間出現するものではない。 しかも緑の夕焼けは肉眼でははっきりと緑色に見えるのに、カメラではとらえることができないのだ。 ハイビジョンカメラはもちろん、スタッフが持っていたあらゆるデジカメを動員してみたが結局「緑の夕焼け」をとらえたショットはひとつもなかった。 これがその時のピクチャーである。 濃密な、色の濃い夕焼けに見える。 しかし僕たち全員の目に...

エジプトで見つけたコインの運命

それは、発掘終了10分前のことだった。 僕の手にしていた金属探知機が反応した。 ピー、という音が鳴り響く。 何回かやっても、そこで鳴り響く。 靴のつま先で、軽く掘ってみた。 そして出てきたのがこれ。 石ではない。持ってみて、比重でそれとわかる。明らかに金属だ。 コイン、もしくはきれいな菱形をしているのでペンダントか何かかもしれない。 考古学者に見せてみた。 フランス人の彼は、そのブツをじっと見たあげく、僕の顔を見て言った。 「ムッシュー、これは発掘の正式メンバーではないあなたが見つけ、掘り出した。その上我々発掘隊の機材リストにはない金属探知機を使って見つけたものである。さらには発見した場所がエジプト政府に申請した正式な発掘現場の範囲外だ」 『はあ? 何を言ってるんだこのオヤジ……』 僕は訝しんだ。どう見てもこれは代打満塁逆転ホームラン的発見ではないか。 そして考古学者は言った。「よってこれは考古学的には何ら意味のないものである。しかしエジプトの国外に持ち出すことはできない。もし空港で見つかったらあなたはもう二度とこの国に入国できなくなるだろう」 「と、言いますと」おそるおそる僕は尋ねた。 「残念だが、捨てるしかない」 「えー!!!」頭の中が真っ白になった。 代打満塁サヨナラランニングホームランが、本塁でタッチアウトになったようなものである。 考古学者は僕からその金属を受け取ると、砂漠に向かって放り投げた。 考古学者があっさりと投げ捨てるようなものだから、たいした物ではなかったのかもしれない。でもあんまり悔しかったので、彼が放り投げる前にこうしてブツの写真を残した次第である。 僕がやはり何か「持ってる」ことは証明できたが、エジプトには負けた気がする。ショックが大きい。完敗だ。

CanonかSonyかそれが問題だ

今回はディレクターとはいえ自分で動画を回す必要に迫られカメラ は何を持っていくかちょっと悩んだ。 結局旅のパートナーとなったのはSONYα99。 最後までCanon5DMark3とどっちを持って行こうとかと迷ってい たのだが。 やはり決め手となったのは動画性能。 α99は動画撮影中に音声レベルメーターが表示されるのだ。これ は僕たちテレビのドキュメンタリー屋にとっては大きい。 つまり、ちゃんと音が録れているかリアルタイムで確認できる。 5DMark3はこれができないのである。動画はスチルの付属品 、という考えがベースにあるからだという。 しかしテレビ番組にとっては映像もさることながら音声はとても重 要なのだ。 さらに、これも音声性能に関わることだけど、内臓ステレオマイク が意外に性能がいい。 これだけでもちゃんと音が拾えている。5DMark3はマイクが モノクロで単なる小さな穴なのだ。 CMなどで5Dを使う時は音声は別の機材に収録するらしいがドキ ュメンタリーの現場では機材はなるべくコンパクトにいきたいから これは助かる。機材が少なくてすむ。それにマイクを装着する時間 もはぶくことができるではありませんか。 そしてバリアングルの液晶ファインダー。 ハイアングル、ローアン グルの撮影には欠かせない。それに角度を調節することにより、外 光がまぶしい時でもなんとか映像を確認しながら撮影できる。これ も5DMark3にはない性能だ。あちらは外光遮断のためにサー ドパーティ製の別売りファインダーをつけたりしないといけない。 あれがプロっぽくていいという人もいるだろうが僕にとっては鬱陶 しいことこの上ない。海外ロケで持ち物が増えるのは嫌なのだ。 出発前にここまできちんと考えたわけではないけれど、やっぱり何 となく使い慣れたα99が今回の旅の友となった。 レンズはカールツァイスの24~70F2.8をもっぱら使ってい る。 明るくてキレのいいレンズだ。動物などを狙うのでなければド キュメンタリーならこれ一本でなんとかいけてしまう。 更にバランス。最近はEマウントのα7Sなども使ってみたりする のだが、やはりこれぐらいのレンズを装着すると本体が軽すぎてバ ラン...

旅に出ると人生がちょっとだけ変わる

首都カイロでは爆弾テロがあったというが発掘は続けられた。 今日もなにも出なかった。 退屈といえば退屈な現場である。 しぜん、ものを考える時間が多くなる。 旅に出ると人生がちょっとだけ変わる。 これまで普通人では考えられないほど旅をしたから僕の本来の人生はだいぶ変わったことになる(と思う)。 今回の旅では、自分はいままで自分が思っていたような人間ではないんじゃないか、ということに気がついた。 それは何かといえば今は秘密だ。 でもそのうちに明らかにされることでしょう。 今日見つけたもの。 謎の足跡。 これはいったい何だろう。 この辺りには大型動物はいない筈なのだが…… 人をたぶらかすという妖怪〈猫また〉でもいるのかしら。 このエジプトの辺境に。

秘宝は見つかるか?

実はその「世界の果て」みたいな町の近くで新たな発掘が始まり、お宝が出る瞬間を見にはるばるエジプトまで来たわけだ。 その僥倖に立ち会えるのは…… きっと僕だけだ。

持っている男

「持っている」「持っている」とプロデューサーにおだてられ、僕は世界中いろんな所に出かけて行く。 今回はエジプト、ナイルデルタの誰も知らないといっていいような発掘現場。 宿舎のホテルから片道3時間の道のりだ。 現場にいるのは3時間ほど。 そしてまた3時間をかけてホテルに戻る。 何も出ない日は撮るものがない。 そういう毎日が続いている。 果たして僕は本当に「持っている」のか? そのことが今回試されている。(ま、どっちでもいいんだけどね)

卑しい町

北海道のある町の議員が、小説の中の表現に腹をたて出版社に抗議した。 この出来事は報道され、それまでまったくの無名といってよかったその町の名前はすくなからず全国に知られることとなった。 作家は小説が単行本として出版される際に、その町の名前を架空の町名に変更した。 不本意だったと思う。 この騒動により町の知名度が上がったと勘違いした町の住民の一人は読書会を企画した。 その人は、騒動はあったが、作品をきっかけにこの地域をファンの聖地にしたい、と語ったという。 なんという卑しい考えだろう。 作家が表現を変えたことで「勝った」とでも思ったのだろうか。 あるいは「倒れた所で土を掴め」、とでも考えたのか。 作家の心に傷を与えたであろうそんな町をファンの誰が聖地と思うのか。 そこまで地方の町が追い詰められているというべきか。 女のいない男たち

ラオスのクリスマス

昨日…… クリスマスの朝。 ラオスの首都、ビエンチャンの朝市を訪ねてみた。 雑踏、行き交う荷車。食物を手に入れ、あるいは提供する人々のエネルギーに満ちている。  人間はものを食うためにこれほどのエネルギーを使うのだ、ということを再認識。 そう。極論すれば私たちは、ものを食うために生きている。 仏教国ラオスのこと。特にクリスマスだから混雑しているのではないそうだ。 365日の中のありふれた一日。 ヤシの木につく虫の幼虫。美味だという。 卵&虫の店。 カメムシ? いや、どうやらタガメのようだ。 余すところなく売られているチキン。 ここにブロイラーのチキンはない。 彼女は毎日ここで鶏をさばく。 余すところなく、鶏は売られてゆく。 クリスマスだからチキン、ではないらしい。 朝市は6時頃から8時頃まで。7時半にはみんな店をたたみ始める。

ラーメンブーム

ブラジルのサンパウロはいまラーメンブーム。たいしておいしくないラーメン屋に毎日長蛇の列が並んでいる。 チャンスかも…

ベレンの空

アマゾン川周辺の景色をぼうっと眺めていると、日本の満員電車ってあり得ない状況だよなってふと思う。一度みんなここに来ればいいのに。

After13 years

13年ぶりにブラジルのオーロプレットを訪れている。まさかこの町に再び来ることになろうとは思いもよらなかった。人生には〈まさか〉という坂が確かに存在するようだ。13年前ここを訪れたスタッフのうち一人はガンで世を去り、一人はウィルス性の病気で車椅子の生活。歳月を感じる。しかし再びこの町に来られたのには天に感謝したい。13年前には修復中で撮影できなかったこの教会も撮影できた。やはり神様はいるような気がする。

タイ国境のミャンマー難民

タイ、ミャンマー国境のタイ側にあるメソットという町。 川幅50mほどの川を渡りさえすればタイに入れることから、ここにはミャンマーからの難民が多い。 かつては政治難民が多かったが、このところは政治経済難民が増加している。 すなわち、母国ミャンマーにいても仕事がない人たちである。反政府的な立場をとったことから彼らにはもはや帰る家もない。 ここでモモエという少女に出会った。日本的な名前だがミャンマー女性にはある名前だという。 彼女が暮らすのはメソットのゴミ処理場。彼女はゴミの山で生まれたのだ。 両親は政治経済難民。祖国ミャンマーにはもう帰る家もないし仕事も見つからない。細々とこのゴミ処理場でゴミを分別する仕事をメインにしてなんとか生活している。 モモエたちゴミの山の子供たちが通う学校もゴミ処理場の近くにはある。資金源は欧米のNGOからの寄付、しかしオバマ政権がミャンマーに対する経済制裁を解除したことから今NGOの目はミャンマー国内に向いてしまい、学校経営も危機を迎えている。 あるご縁でモモエの存在を知り、この祖国と世界に見捨てられつつあるミャンマー難民の窮状をなんとか伝えて彼らに対する支援をつのりたいと思い、様々な放送局に企画書を提出しているのだが反応はいまひとつだ。 そこで、近々これまで撮りためた映像をコンパクトにまとめて一度YouTubeにアップロードしようと考えている。 雨期を迎えたゴミの山はゴミ処理が滞り、地獄のような状況だった。 近くの川が氾濫、モモエの家では飼育していた豚のうち子豚2頭が溺死したという。 写真は今月(2013年8月)25日のものである。 まったなしの状況が迫っているのでは、という気がした。

サルタのミイラ〔エル・ニーニョ〕 目には見えないけどカメラでは見えるもの

アルゼンチン、サルタのMAAM(高地考古学博物館)。 ここには、ユヤイヤコ山頂(標高6739m)でヨハン・ラインハルト氏により発掘された三体の子供のミイラが保管、展示されている。 およそ500年前に生け贄になったとされる、インカの子供たちだ。 2012年4月、私はこの三体のうちのEl Niño(エル・ニーニョ=男の幼子)と呼ばれるミイラを撮影しにサルタに向かった。 実際にミイラの展示室は保護のため、ほとんど真っ暗といっていい。人が近づいた時だけセンサーが働き、微弱な照明がミイラをかすかに浮かび上がらせるという仕組みになっている。 撮影のためにミイラに照明を当てることは禁止されている。 と、いうことは、ムービーカメラでは映す術がないということなのだ。 私はハイビジョンカメラでの撮影を断念した。 その時たまたま持っていたのがSONYのNEX7というミラーレス一眼カメラである。 ためしに、超高感度の設定にしてしかもスローシャッターで撮影してみた。 そしてとらえたのがこれらの写真である。 驚いた。 まったく肉眼では見えない世界を、カメラが捕えたのである。 初めて見ることができた、エル・ニーニョの顔。 穏やかで、優しそうな顔をしていた。 暗がりの中では、膝小僧の裏に隠れて彼の顔は見えないものと思われていた。 しかし、最新の技術をもって、私は彼の顔を目撃してしまったのだ。 成長したらハンサムな少年になったに違いない。 穏やかに、眠っているようなその顔を見てなんだかとてもせつなかった。