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卑しい町

北海道のある町の議員が、小説の中の表現に腹をたて出版社に抗議した。
この出来事は報道され、それまでまったくの無名といってよかったその町の名前はすくなからず全国に知られることとなった。
作家は小説が単行本として出版される際に、その町の名前を架空の町名に変更した。
不本意だったと思う。
この騒動により町の知名度が上がったと勘違いした町の住民の一人は読書会を企画した。
その人は、騒動はあったが、作品をきっかけにこの地域をファンの聖地にしたい、と語ったという。
なんという卑しい考えだろう。
作家が表現を変えたことで「勝った」とでも思ったのだろうか。
あるいは「倒れた所で土を掴め」、とでも考えたのか。
作家の心に傷を与えたであろうそんな町をファンの誰が聖地と思うのか。
そこまで地方の町が追い詰められているというべきか。
女のいない男たち

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